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『あんな風に滑れたらいいなあ〜』クラブのツアーに参加するたびに、メンバーのすべりをうっとりと眺めていた私には2級は遠い遠い憧れの存在でした。私のスキーといえば、スキー好きの夫と結婚した時から始まりましたから、期間は長いけれど滑走日数はおそらく10年間でも30日程度の家族親睦お楽しみスキーに過ぎませんでした。
そんな中でも、少しでも上手くなりたいという気はあって、市の広報誌で募集していたスキーツアーに娘と二人で参加したのがクラブとの出会いでした。いつのことだか記憶も定かでないのですが、その時やはり初参加していて知り合い、その後ずーとお世話になっているのが、今は指導員になっているY先生です。それからは時々ツアーに参加させてもらいながら、いつも初級クラスでN先生、S先生、A先生と色々な先生に熱心に指導していただきました。緩斜面は上手く滑れても、急斜面になるともうメチャクチャで、下に降りるだけで精一杯の状態でした。そんな私に転機が訪れたのが4年前(57才)にした退職でした。
365日休日のうれしさに、一挙に滑走日が15日以上と増えたのが裏目に出てしまい、その年(2000年)のシーズンも終わる3月に左ひざに半月板損傷の怪我をしてしまいました。ここは前にも靭帯損傷の古傷があって、ヤワになっていたのに十分な筋トレもしてなかったので耐えきれなかったのでしょう。でもその手術のあとは、プールやスポーツセンターや自宅で真剣に筋トレに励むようになりました。ただ悔しいかな、年には勝てず回復は遅々としたものでした。翌シーズンのスキーは、万座初滑りと個人で同じ万座に行った5日間だけでした。半日滑っただけで膝に痛みが出てしまい、もっぱら温泉に浸かるだけでした。
それが、2002年にカービングスキーにしてからというものは安定してきて、U先生からは『早く換えれば良かったでしょう』と言われてしまいましたが、ほんとにそのとうりでした。それに加えて、私用のシンデレラ・サイズ(22)にぴったりの靴(レグザム)もみつかり、道具に不足はなくなりました。膝の方も筋トレの成果と金具入りのサポーターのお陰で、急斜面と長い距離以外はだいぶ滑れるようになりました。
そして、2002年春スキーの熊の湯が夫と二人で受けた初めての2級でした。一番目でスタートした私は、あえなくも出だしで『コケテ』しまいブッブーの×。夫の方は1回目の挑戦で難なく合格。『コケタ』んじゃあ、仕方ないよねと納得。
2度目の挑戦(2003年)は白馬5竜でした。ここはなんと、検定バーンに行くのに先生に連れ添ってもらうなど(こんなとこ滑ったことないよ〜)私にとっては大急斜面でした。それでもなんとか大回りは『コケズ』にうまくいったんです、が・・あ〜、それなのに小回り〜中回りで、ゴール寸前にまたも『コケタ』のでした。もちろん、ブッブー。翌日、Rちゃんが「私も何回も落ちてイヤになったことがあるよ」と声をかけてくれました。えぇ、ほんとに?あの上手なRちゃんにもそういう時もあったんだ、じゃあ私なんかまだまだと、気持がスーと楽になりました。(ありがと!)
志賀高原で2泊3日びっちり特訓しました。表万座の日帰りスキーで再度練習もしました。そして、シーズン最後のバッチテストのある乗鞍高原スキー場で三度目の挑戦をしたのでした。 これまでも本番に弱くて自信はなかったのですが、クラブのメンバーの『ガンバ!・ガンバ!』の大声援に送られて今度こそは『コケル』わけにはいかないぞと、頭に中で「ゆっくり、ゆっくり」と言いきかせながらのスタートでした。
『コケナイ』ことばかりを気にして、ぎこちない滑りだったと思いますがなんとか無事滑りきりました。心底ホットして、その後飲んだジュースの美味しかったこと・・のどがカラカラでした。発表は帰りのバスの中でした。合格者の一番に名前を呼ばれて『ワァァ!』自然とバンザイをしていました。ここまで来るには、大勢のみなさんのご指導とご支援がありました。この場をお借りして心よりお礼を申し上げます。
そして夫婦で、スキーという同じ道を一緒に語らい合いながら歩けることの感謝もしたいと思います。
『青春』とは、ある限られた年令を指すのではなく、挑戦する心がある限り『青春』だという、サミウェル・ウルマンの詩からすると、私って、もしかして『青春』真っ只中かも!! 目標ができたことで、あらたな課題もいっぱいみえてきました。
さぁ、みなさ〜ん!これからもガンガン青春しましょうね〜!!
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