還暦を過ぎて二級に挑戦

スキーを始たのは、かれこれ40年位前になりましょうか?当時、冬季オリンピックでトニー・ザイラーがアルペンで初の3冠(滑降・回転・大回転)を達成し、その後彼の主演映画『黒い稲妻』・『白銀は招くよ』に魅せられて、最初のスキーブームに火がついた頃だったと思う。その頃、会社の仲間と誘い合っては、当時石打スキー場に、若林省三校長(シーズンオフは御徒町で自転車店経営)のプロ・スキー学校(日本初?)があり、先生に今冒険家の三浦雄一郎先生や岸野先生、立川先生ほか数人の先生がいてそこでスキーの基礎を教わった。

会社でスキークラブを作り、仲間内に三浦雄一郎先生と親しくする者が居て、毎年シーズン前になると会社にスキー映画を持って来ていただき、上映後、会員を募ると大型バス2台分位の人が集まり数年続いた。 その後は仲間と毎年スキーを続けて、多いシーズンは10回で、5月の連休に青森の八甲田山に行き、持っていった塩を雪にまいて固め、三浦雄一郎先生達と楽しんだ。1シーズン10回はその頃としては多い方だったと思う。当時の用具は、板はヒッコリーの合板(木材)、ブーツは皮製、ストックの雪輪は細い竹の様な物で出来ていて、直径が10数センチもある物だった。 技術的には、アンギュレーションの強いオーストリースキーと肩を振り込むフランススキーに二分され、前者の方がダイナミックでカッコイイ?とされていた。

まだスキー学校は少なく、石打学校のあとは本を見ながらの練習だった。 子供が幼稚園に行くようになりファミリースキーに変わってからは、シーズンにせいぜい1回か2回行くだけになった。毎年蔵王に行き、早く楽しく滑れる様にとボーゲンから一生懸命練習し、やがて皆んなで山頂から樹氷原コースを降りられる様になった。 子供も大きくなり日程が合わなくなると家内や、或いは一人で何年か行くうちに還暦で仕事をリタイア。

その年のシーズンから羽村スキークラブのツアーに参加した。娘と家内が前に参加していて、おおよそのことは聞いていたが、先生が大勢いて講習が充実していた。その講習が無料、これは受けない手はないと思い受講した。中野先生の班で、最初にボーゲンで滑って先生から指摘された。それは肩を入れ過ぎている!と言うことだった。昔の滑りと全然違っていた。その後、今年で4シーズン目のツアー参加に成るが、講習を受講するたびにワンポイントを見つける中で、一番滑りを安定させたのが『早めの仕掛け』と『円弧のターン』だった。それまではターンの直前でテールを抜重して押し出す鋭角ターンで、これが昔の滑りだった。道具の進歩と共に技術も変わって来たのかな?と思った。

自分なりに大分滑りも安定してきた様に思い、今回試すつもりで2級の検定を受けることにした。結果は合格をいただき、大変嬉しい日になった。当日講習いただいた旭ヨッシー先生、検定いただいた先生、検定をサポートしていただいた大勢のスタッフの皆さん本当に有難うございました。総評で中野先生から『もう少し楽に滑るように』とのコメントをいただき、これからさらに精進して次は1級を目指したいと思います。

2002/4/6 志賀高原 熊の湯スキー場