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| 羽村市スキー連盟って? - よくある質問 - 歴史1・歴史2 - 参加と入会について | ||
羽村町スキー連盟の歴史は、その前身である羽村町スキー会の発足から数え昭和58年で満20年を迎えた。
昭和34年羽村町教育委員会主催のスキー教室が開催され、その後数回にわたるスキー教室の実施により、羽村町民の間にもスキー愛好者が増えていった。
こうした中昭和38年羽村市体育協会が創立されたのを契機に、それまでのスキー教室において指導、運営等で多大な功労のあった故粕谷優氏(当時羽村東小学校校長)が発起人となり、羽村町スキー会が誕生、同年体育協会加盟団体になった。
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翌年1月、それまでのスキー教室を継承し教育委員会との共催による第6回スキー教室を苗場スキー場で開催した。
こうして羽村町スキー会は羽村町唯一のスキー団体として、町民スキー振興へと動き始めたのであった。 その後、昭和42年1月第10回菅平スキー教室、同年11回戸隠スキー教室を開催、増加するスキー愛好者の要望に答え1シーズンに2回のスキー教室を行うようになった。このスキー教室は、スキーの楽しさに加え、大自然のなかで参加者が相互に親睦を深められる事から町民の間に広く浸透し、冬の恒例行事として親しまれるようになった。 | ||
| 昭和42年粕谷会長の後をうけて、竹内幸平氏が第二代会長になると、昭和43年岳温泉スキー教室、同年2月菅平スキー場、44年1月岳スキー場、同年車山スキー場、45年1月岳スキー場、同年2月万座温泉スキー場でスキー教室を実施、活発な活動が行われた。同時にスキーシーズンだけの活動ではなく、オフシーズンにも会員が交流できるように「スキー愛好会の集い」が43年11月に行われ、しだいに会員の定着がみられるようになった。 | ||
| 昭和46年2月、教育委員会は、社会事業の一環として独自でスキー教室を開催した。 この時期から、 羽村町スキー会も教育委員会の手を離れ独自のスキー教室を開く事になる。 同年中野恒雄氏が第三代会長となった。 | ||
昭和47年から53年まで、羽村町スキー会は、通算16回の教室を実施。その他「初滑り」「苗場日帰りツアー」「スキー映画の夕べ」などの事業もあわせて活発な活動を展開してきた。昭和53年6月10日町内にも企業等のスキー団体が発足し始めたのを機会に、さらに多くのスキー団体、スキー人口を求め、羽村町スキー連盟が設立され、中野恒雄氏が会長になった。 当初は、羽村町スキー会、市役所スキー部、羽村町農業協同組合スキー部、(55年脱退)がその構成団体であった。 また、連盟組織になったことから、羽村町体育協会の加盟団体も、この時点で羽村町スキー連盟となった。 | ||
同年9月10日羽村町スキー連盟は小平市スキー連盟の紹介で東京都スキー連盟に加盟し、その第一歩を踏み出したのである。
翌年には早速1月に天元台スキー教室、2月には岳スキー場で行われた36回スキー教室で、第9回羽村町総合体育大会スキーの部も同時に開催された。また、副会長の斎藤氏の提唱により、55年2月に斑尾スキー場において、小平スキー連盟の協力をえて最初の公認バッジ検定を実施した。当連盟は羽村町民及び近隣市町村のスキー愛好家を対象にしているため、第一に基礎スキー技術の習得を目的とし、正しい安全なスキーの普及を行いそのうえで会員自らの技術向上に結びつけるものとして、バッジ検定、準指導員検定への派遣、各種競技への参加などの事業も実施している。
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当連盟の本格的なシーズンインは例年12月の初滑りで始まる。
そして年末には連盟役員の指導者を養成するための強化合宿を経て1月2月には恒例のスキー教室がひらかれる。 例年、1月のスキー教室には総合体育大会、2月にはバッジ検定を実施するように計画している。 スキー教室では、クラス別に徹底した基礎スキー講習を行うが、アフタースキーはゲレンデの厳しさを忘れ楽しい趣向で参加者の親睦を図り、競技会やバッジ検定のビデオをみながら語り合うなど、いつまでも思い出に残る一時である。 2回目のスキー教室が終わると準指導員検定が待っている。 当連盟では1級保持者の会員から指導者要請にむけ希望者を送り出している。 3月には春休み子供スキー教室の開催である。 この事業はスキー底辺の拡大と青少年の健全育成を目的に56年から始めたもので、スキー教室を通じて自主性や協調性が養えるように指導を行っている。 | ||
| 〜羽村体育協会創立20周年記念誌からの抜粋〜 | ||